ちはやふる183首感想---太一の夢

BE・LOVE 2017年13号掲載


183首。
特筆すべきは太一の変化。
「勝たなくてもいい」「負けて辞める」などネガティブ発言ばかりだった彼が、「息の根を止めてやりたい」と言い出した。
ある意味前向きな気持ちだ。
相手を倒してみたいという彼の顔つきは、名人戦予選が始まってからの中で一番良い表情だと思う。

彼がなぜ名人戦に出てきたのか。
それを考えるには、今までの彼をもう一度振り返る必要がある。


太一の心境の遍歴



■最初は千早のためにカルタをしていた太一も、次第に他人のためのカルタではだめだと思い始める。
(「千早のことばっか考えて応えてたらダメなんだ」8巻47首)
→ちょっと本気でやってみるかな?

■A級に上がり、自分のカルタを始める。
(「この秋は右手のおまえに公式戦で勝つ」18巻94首)
→もっと強くなってみたいな。

■カルタを通じて「何になりたいか」を真剣に考え始める。
(「なにになりたいのかな」「自分になりたい」20巻107首)
→「名人」?どうなんだろ…

■自分は勝てないと思っている新に原田先生が勝ち、涙する。
(23巻119首)
→オレも頑張れば新に勝てるかも?新に勝てばオレだって…

■自分も新に挑戦し、負けて悔しいと思う。
(26巻136首)
→新にどうしても勝ちたかった!でもどうしても勝てねえよ!チクショー!

■失恋しカルタを辞めたにも関わらず、なぜか名人の力に魅了されてしまう。
(27巻141首)
→なんでもいい、強い力が欲しい!名人クッソ羨ましいな!

■そして今もカルタを続ける。


カルタを続ける理由とは



負けても失恋してもカルタが嫌いでも、なぜカルタを続けてしまうのか。
やはりポイントは、20巻の「何になりたいか」だろう。
カルタで勝ちたい、更にはカルタのトップまで行きたいという願望は彼にもあるのではないか。
「名人」への憧れや夢が、特に20巻以降彼の心に膨れ上がってきているのではないか。
彼も本音では大きな声で「名人になりたい!」と言いたいんじゃないだろうか。

しかし彼は決してそれを口に出そうとはしない。
それは負けることへの「恐怖」ゆえか?
しかし二年の時の富士崎の強さに立ち向かった戦いを見る限り、決して彼は臆病者のようには見えない。
どちらかというと、幼少のころから言われ続けてきた「負けるものには手を出すな」という母親の教えが原因だろう。

名人の夢は茨の道だ。
そして行く手には必ず新がいる。勝てるかどうかなんて自信がない。
どれくらいの努力が必要なのだろう。考えるだけでゾッとする。
下手すると一生負け続けのカルタ人生だ。
負け続けている自分なんて決して認めてはいけない。
それは自分のポリシーとなってしまった母親の教えに反する。
だから「名人になりたい」などという言葉は絶対に口に出してはいけない。

母親の呪いと「名人」という夢との狭間で、彼はずっと悩み続けているのではないかと思う。
悩んで悩んで苦しくて、…そして彼は心の中の「夢」にそっと蓋をしてしまった。
「名人」にはなれなくても「周防さん」にはなれそうだ。
それで満足すればいい。

だが夢がなければ情熱も生まれない。
今の彼は気は楽だが、がらんどうだ。


「次は試合で」があったから



「名人戦予選」という場に彼は答えを求めに来た。
新との「次は試合で」の約束もあったから、この試合で心の決着をつけるのだと思う。
運よく勝てればそれでよし、負けたらカルタをすっぱり辞め、名人への憧れを完全に断ち切るつもりだ。
情熱を持てないカルタなんてここでオサラバ。
強い自分がどこまでいけるか、確認できればそれでいい。
「5連覇したらカルタを辞める」と言っていた名人のそれとよく似ている。

「カルタを辞めてくれ」と誰かに言われたらそれはそれで本望。
須藤さんとの賭けが反故になって微妙な顔をしていたのはそのためだ。

千早には近づきたくないし、坪口さんや原田先生とは戦いたくない。
「負けてもカルタを続けろ」と言われるに決まっている。
本当になりたかった自分には、もう辛くて戻りたくないんだ。


20巻からのテーマとは



1巻のあとがきに書いてあるように、元々は「新の夢と千早の想い」が一つのテーマ。
20巻で「名人になるのがオレの夢」と新に言わせることによって、それにひとまず区切りをつけた。
20巻からは第二幕、「太一の夢と千早の想い」がテーマだろう。
太一が「何になりたいか」の問いに答えを出すことで、第二幕のカーテンは降りると思う。

そしてその後にはようやく、第三幕「みんなの夢とみんなの想い」の話が始まるのだろう。
東西戦からが第三幕になるのではないかと予想している。





彼の心の蓋は、一体誰によって、どのようにして開かれてゆくのだろうか。

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