184首感想---周防という存在

184首。
千早と理音の戦いも魅力的だが、男たちの熱い戦いからも目が離せない…!
紙面から伝わってくる緊張感や、心理戦・頭脳戦の緻密な駆け引きにワクワクする。

太一、須藤さん、ちは札、それぞれ語りたいことはたくさんあるけれど、今回はあえて周防さんのお話。
名人戦に向けて燃える選手たちを尻目に、余裕すらうかがえる周防さんの気持ちを考えてみた。


周防と太一



五連覇して永世名人という目標を達成している周防さんはカルタ界に未練がない。
新の勢いに押されて、つい「一年おまけ」と言ってしまったが、はっきり言って次の試合は余興だ。
新が来ようが原田先生が来ようが、勝とうが負けようがどうでもいい。
まあどうせ自分が勝っちゃうけどww
終わった後はさっさとカルタを辞めるだけだ。

そこで出てきたのが太一という存在。
彼だけは特別だ。
なぜなら夢も情熱もない、がらんどう同士。しかも強い。
彼なら一緒に戦っても楽しそうだ。
なんなら名人の座を譲っちゃおうかな~ww(と思っているかもしれない)。

彼ら二人、傍から見れば師匠と弟子。
しかし北野先生の「師を持たぬものは誰の師にもなれない」発言が気にかかる。
果たして本当に周防さんは「師」になりつつあるのだろうか。


「師」



ところで「師」とはどういう存在であろうか。

頭のいい先生、ユニークな先生、厳しい先生、いろんな先生が世の中にはいる。
でもほとんどの先生は記憶のかなたに薄れ消えていく。
心に残るのは「人生を変えるほどの情熱を自分に伝えてくれた先生」だけだ。
それが「師」つまり本当の恩師というものだ。

周防さんは情熱を持たない。
だから太一にそれを伝える術を知らない。
周防さんと一緒にいても、太一はずっと情熱を失ったままだ。
周防さんの教えは太一の人生を変えているわけではない。
いうなれば、周防さんは「教科書」であり、太一はそれを完璧に模写する優秀な「受験生」なのである。
周防さんも太一もそれを分かっているから、お互いに「師」「弟子」と呼び合うことはない。

師になれない周防さんが予備校の教師、というのも、なんとも皮肉な話である。


周防と新



今の周防さんには、新の姿は全く眼中にない。
太一という自分のコピーが強くなる姿だけが彼の楽しみだ。
それは自分という存在がこの世に認められている証だ。





新と太一が東西戦に出るとしよう。

もし仮に、新が太一を倒してしまった場合、周防さんはどう思うだろう。
更に、太一の心に情熱が湧き出したと気付いた時、彼はどう感じるだろう。

太一は周防さんの「弟子」ではない。もう一人の自分だ。
太一が生まれ変わっても自分は変われない。
だから素直に喜ぶことができない。
そればかりか自分一人取り残された孤独・妬み・嫉妬も感じるかもしれない。
コピーの太一が負けることや変わること、それは自分が否定されることだ。
自己否定は、人が最も恐れるものだ。

その時初めて周防さんは新を敵とみなすだろう。
周防さんは底知れぬ恨み、怒り、負のエネルギーを彼に全てぶつけてくるかもしれない。
カルタが最も好きな者と、最も憎む者のガチンコ勝負の完成だ。

太一は名人を「あらぶる神」へ変貌させる重要なキーマン…じゃないかと予想してる。


周防と兼子さん



今回周防さんはテンションを上げに故郷の長崎へ向かおうとした。
周防さんを変える何かは、やはり兼子さんにあるのだろう。
でも帰ることができなかった。

就職しても、永世名人になっても、テレビに出ても、ひとかどの人間になった自信がない。
名人の座から離れれば周防さんには何も残らない。
でも故郷にも帰れない。目の病気も治らない。
彼の道はずっと暗闇の中だ。

一体自分は、どこへ向かえばいいんだ!?

…彼の心がいつか救われるよう、願ってならない…





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