ちはやふる35巻感想---金木犀ミステリー

2017年8月10日発売


35巻の表紙は汗滴る艶っぽい太一。

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髪型がいつもと違って雰囲気変わっているけど、こういう太一も好きですよ末次先生…
そしてバックの花は金木犀。
今まではあらすじに沿って表紙の花が決まっていたけれど、今回は花自体がテーマになっているという珍しい巻。
今回はこの表紙の花「金木犀」について掘り下げてみようと思う。


金木犀登場シーン



まず金木犀が出てきた場面を一つずつ追ってみると

  1. 東日本予選行く途中に始まり
  2. 一回戦の太一登場シーン
  3. 田丸兄と札を混ぜるときの笑顔
  4. 田丸兄お手付き→「今日はここにいるみんなを翻弄しに来たから」
  5. 太一悪役の不気味な笑み
  6. 田丸兄負け「周防名人と試合をした人は かるたをやりたくなくなるって知ってるか?」
  7. 二回戦エロムと対峙「いいにおいがする」(花描写はなし)
  8. 須藤さんお手付き「なんだ?なんだ?いい匂いがした そう思ったら動いてた」(36巻予定184首)

と、かなりの回数の登場である。相当な作者のこだわりを感じる。
そして金木犀が描かれる時の太一の様子から、それは周防さんから受け継いだ翻弄する力を表していると思ってまず間違いないと思う。

ではなぜそれが金木犀なのか。


花言葉



まず金木犀の花言葉について調べてみると

「陶酔」「高潔」「謙虚」
「真実」「真実の愛」「初恋」

などがある。
「陶酔」(周防さんの力に?)とか「真実」(太一の本心?)など当てはまりそうだが、これだけでは理由に乏しい。


金木犀の特徴



そこで今度は金木犀の花の性質について調べてみた。

  • 金木犀は秋にオレンジ色の花を無数に咲かせる。
  • 自己主張の強い芳香で、花は見えずとも香りはするという、人を惑わすような花。
  • しかしその香りとは裏腹に、花は小さく控えめ、地味で目立たない。見た目とのアンバランスさがある。
  • 開花時期はたったのは3~5日、しかも雨が降ると惜しみなく花を散らしてしまう。
  • そして金木犀は「雄の木」しかない。日本に「雌の木」がないため実がならない。


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昔は芳香剤と言えば金木犀。
それくらいの強烈な甘い芳香がある。
しかしトイレのイメージが定着しすぎて
金木犀の芳香剤は徐々に減ったそうな…


漫画との関連



これらを漫画の話と関連付けてみる。

  • まず金木犀は「金」という文字から金色の花をイメージしてしまうが、実際はオレンジに近い。
    花の色であるオレンジは35巻の表紙の色である。
  • 強烈な香りはまさに周防さんの強さ。
  • 香りで人を惑わすように、周防さんの翻弄するカルタは人を惑わすものだ。
  • 香りと花とのアンバランスさは、周防さんの黒い力と美しく描かれた太一とのギャップ。
    もしくは圧倒的な名人の力の裏にある、カルタを否定する精神をあらわしたものかも。
  • あっという間に花が散るのは、この強さが「期間限定」だということ。

このようにも考えられる。


消えた金木犀



そしてもう一つ注目したいのが、186首で須藤さんがお手付きをした際の太一の様子である。
太一は須藤さんをミスさせることに成功した。
それはまさに周防さんの技そのものである。
にも関わらず、金木犀は描かれなかった。

周防さんの力で本当に怖いのは「ミスさせること」ではない。
自滅に導き、試合を放棄させ、「カルタを辞めたい」「カルタが嫌いだ」という気持ちにさせてしまうことだ。

単に相手を倒してやりたいという感情ではなく、自分の内にある「カルタを辞める」「カルタが嫌い」という負の感情を対戦相手にも伝播させる、恐らくそれがここに描かれている金木犀の正体だと思う。

お手つきなんかで こんなおもしろい勝負 壊さねぇよ

須藤さんらしいこの心意気。カッコいいな…
須藤さんはミスしても決して怯むことはない。
それどころか太一との試合を楽しんでさえいる。
カルタは翻弄されようとも、心までは翻弄されないのが須藤さんのスゴイところ。
「カルタを愛する」という強い精神力が、纏わりつく香りを蹴散らしているのかもしれない。

金木犀はいくら香りが強かろうと、実がなることはない。
いくら相手の心を翻弄しようとも、結局自分には何も残らない。
金木犀の花期はほんの束の間だ。
花が散ったとき、ようやく太一の「真実」の心は見えてくると思う。

ちなみにわたしは金木犀を背負う太一の能力のことを、密かにスタンド「オスマンサス・フレグランス」と呼んでいたりする。Osmanthus fragrans は金木犀の学名。
このスタンドが今後再び発動するか否かは、須藤さんのカルタ愛次第…





35巻の和歌「つきみれば」


月見れば ちぢに物こそ悲しけれ
わが身ひとつの 秋にはあらねど

35巻でこの和歌を探したのだが、印象的なシーンでは出てきていない。(原田・五十嵐戦のみ)
恐らく今回はイメージで選んだのだろう。

秋の月は一年で最も美しい。そんな美しい月を見ているのに、なぜか悲しい気持ちに覆われる。
この巻の太一も、恐らく今までのちはやふるで一番美しく描かれている。
この「月」というのは太一のことを指すのだろうか。
何を考えているのか分からない太一の様子に、胸が締め付けられるような苦しい気持ちになってしまう。
最後のシーンで肉まんくんと机君が太一の心に寄り添っているけれども、これは読者の代弁でもあると思う。

または太一を見つめる母親の心境か。
すでに太一は自分から離れた存在になりつつある、という子離れの寂しさの歌にも聴こえる。

もしかすると意外に、美しく描かれていた桜沢先生が月を表しているのかもしれない。
先生を見つめる猪熊さんの心情に心打たれる。

…とまあ、恐らくこれは答えがないのだろう。和歌は解釈が広いので。
あれやこれやと想像して楽しむのがいいのかなと思っている。

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