ちはやふる190首感想---生まれ変わる心

BE・LOVE2017年22号掲載


東日本予選準決勝終盤。太一と田丸、二人がそれぞれの心の壁を打ち破ろうとしていた。


承認欲求



承認欲求とは



田丸さんの他人から褒められたい症候群、これは承認欲求が強い人の特徴の一つである。

山竹伸二著『「認められたい」の正体』(講談社2011年3月発行)では、人が「誰から認められたいか」を三種類に分類している。

  1. 親和的承認:親や恋人のような愛と信頼の関係にある他者からの無条件の承認
  2. 集団的承認:会社の同僚や学校のクラスメイトといった集団的役割関係にある他者からの承認
  3. 一般的承認:社会的関係にある他者一般からの承認

この三つの承認を得ることで人は心を充足することが出来る。

田丸さんに当てはめるなら、瑞沢カルタ部の一年生から田丸さんの実力を認められたことが2の集団的承認。
そして東日本予選を決勝まで進み、尚且つ社会的地位のある桜沢先生に評価してもらったことが、3の一般的承認となる。
しかし1の親和的欲求を満たすべき兄や師からは満足な承認を得ることが出来ていない。
それを補足しているのが千早の存在である。


千早の成長



千早が他人の評価を強く意識しだしたのは12巻の二年生の高校選手権。机君が筑波の実力を認め試合を譲ったときである。

私なら言えるかな 努力して努力して努力して それでもあとから来た人に追いつかれたとき 机くんのように言えるかな

三年になって田丸さんが入部したとき、実力は既にキャプテンを狙えるほどであった。
しかし千早は下級生の田丸さんの力を決して羨まなかった。
28巻では自分が試合に出られないにも関わらず田丸さんの背中を押してあげた。
31巻では勝てない田丸さんを信じて試合に出している。
実力があるにも関わらずどうしても自分を認めることができない田丸さんに対し、千早は常に彼女を支え続けてきた。

東日本予選では、田丸さんはとうとう一年生にして決勝進出という快挙を成し遂げてしまった。
もしかすると千早以上の実力を備えているかもしれない。
それでも千早は田丸さんの力を妬むことはない。
後輩であろうと何であろうと、自分と対等の立場として田丸さんの成長を認め、喜んでさえいる。

そこには高校選手権の時のような太一の影はもう存在しない。
千早は真のリーダーとして成長したのだ。
そしてそれは田丸さんの成長にも繋がっている。


田丸の成長



承認不安から脱却するためには自分を評価し認めることと同様に、他者からの視点も必要となる。
リーダー千早の無償の信頼という親和的承認、仲間からの集団的承認、尊敬する人からの一般的承認を得ることで、田丸さんはようやく自分を認め不安から脱することが出来た。

「褒められたい」「認められたい」という気持ちは悪いことばかりではない。
それを原動力にして大きな努力を重ね、結果的に自己成長へとつながることもある。
千早のように他人の実力を素直に認めることが出来るようになれば、ようやく田丸さんは瑞沢のエースとして生まれ変われるのだろう。
しかしそれはもう少し先の話だ。
(つよぽん少しは妹のこと見直せよ!)


懺悔



新と…千早のいるところに 行きたい 行きたい…


新と千早の進む道は、富士の頂へと続く未来への道である。
そして原田先生も目指す道でもある。
同じ頂点を目指す相手と分かったからこそ、原田先生は太一をライバルと認めた。


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あまたの星から離れ、ひっそりと輝く一粒の星。(これは北の空に輝く…)
再び心に返り咲いたのは「真実」という意味を持つ花。
行きたい、行きたい、懺悔のようにも聞こえるその言葉を心の底から絞り出すことで、太一はようやく本当になりたかった自分に生まれ変われたのだと思う。

眼鏡を隠したこと、失恋という個人的な理由で瑞沢の部長の役目を放棄したこと、そして千早を傷つけたこと。
太一が悔いるべきこれらの行いは、カルタを辞めて償うものではない。
苦しかろうと辛かろうと、歯を食いしばりカルタに正面から向き合っていくことこそが、彼を支えてくれたカルタの仲間たちへの贖罪になるのだと思う。
そしてそれが彼と戦い敗れていった者に対する、勝者としての責任だと思う。

須藤さんとの賭けの行方も気になるところだが、ひとまず今は原田先生との試合を悔いなく戦いきってほしい。
太一頑張れ。
原田先生、どうか彼をよろしくお願いします…

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