ちはやふる202首感想(1)---敗者・考

BE・LOVE 2018年15号掲載


東西挑戦者決定戦二回戦終盤、名人戦予選二回戦の結果が決まる。
〈新視点より〉


敗者考察



「奇跡が起こらぬ限り新の陣を取ることはできない」と、201首の感想で書いたけれども。

しかし奇跡はおきた。
今回の話を読んで、ああそうか、わたしにも傲慢な部分はあるのだなと思った。太一の「ちは」の取りは本当に素晴らしかった。


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そもそもどこで新が選択を間違えたのか、それを辿ってみると、一回戦での終盤にすでに問題はあった。最後の取りは結果がどうであれ、決着がついたのであれば必要以上に気にするべきではなかった。勝ちは勝ち、審判の判断は絶対である。「自分の取りはクリーンでありたい」という高潔なプライドに固執する新には、最後の疑惑の取りをどうしても許すことができなかった。それはまあ構わないが、その解決方法を妙な賭けに結びつけたのがいけなかった。気になるなら謝るだけでいいし、賭けにしても試合後にジュースでも奢るとか、戦いには無関係のものにするべきであった。若さゆえの過ちというべきか、考えが浅はかであったと思う。後で言っても仕方がないが、名人への挑戦権を得るという神聖な畳の上で、勝負事を賭けに利用するのは愚かな行為であった。

更に太一の実力が予想以上に強かったのもある。潰してやると自分が本気を出しさえすれば、束勝ちくらいできるだろうという思いあがりが少なからずあったかもしれない。太一の力を見くびりすぎた。流れが悪くても焦ることなく食らいついていったのは、紛れもなく太一の実力である。新には大して余裕がなかった。「ちは」を太一の陣に送ることができなかったのは、守りカルタの太一の陣に切り込み攻められるかどうかに不安があったからだ。

この戦いにおいて、新は何度「ちは」と唱えたのか?それが手元にあると無意識に気が散ってしまうのは、今までの戦いを見ていてもよくわかることだろう。特別な札に執着するといけないと反省していたのに、しかもそれを太一にまで語っているのに、その経験を全く生かすことができなかった。青春すべて掛けて戦うと誓い、「ちは」という情熱の札を見事得ることができた太一に対し、新は最後まで自分の弱点を克服することができなかった。

新にとって一番不幸なのは、自分の取りを客観的に分析して的確な指示を出し、心のケアや感情のコントロールを助けてくれる、信頼できる師匠がすでに亡くなっていることである。祖父がいればきっと、一回戦の後にしっかりとフォローをいれてくれた。しかし彼はもうこの世にいない。新は栗山先生や兄弟子の村尾さんにも頼ることはなく、頭の中でグルグルと自問自答を繰り返しているばかりである。皆が目標にするような強さを持っているとはいえども、彼はまだ高校生だ。人生経験の豊かな大人ではない。精神面で支えてくれる人がいない、また誰にも頼ろうともしないというのは、本人が思う以上に負担が大きい。

「運命戦になったら譲れ」

こんなのくだらない、ただのガキの喧嘩だ。言った方にも問題はあるが、これに乗った新も悪い。カルタの神様だってきっと怒っている。相当怒っている。だから神様にそっぽ向かれた。音の一歩先なんて絶対に神様が教えてくれるわけがなかった。

これを有言実行し、公衆の面前で勝利への一枚を相手に譲るという前代未聞の恥を晒した新の気持ちは如何ばかりであったか。悔しくて悔しくてたまらなかっただろう。でもこれが弱点を克服することがなかった彼の今の実力だ。屈辱にまみれた糸は幾重にもなって彼に執拗に纏わりつき、最後の最後でちはを奪われた喪失感は更に彼を苦しめる。眼の奥が痺れる。口は乾き、胃の腑から苦いものが喉に込み上げてくる。気持ちが悪い。頭がガンガンする。自分の弱さを誰かに見せることが下手な新は、また独り静かに震え、渦巻く怒りを誰かに吐き出すこともなく、必死に胸の内へ抑え込もうとするのだろうか。

去年の東西戦で、原田先生と比べて自分に足りなかったものは何か?
高校選手権で、新は菅野先生から何を言われた?
大学の面接で何を誓った?
祖父の仏前で祈りを捧げた言葉は何だ?

何故それらを全く思い出そうとしない?

あなたは一体、ここへ何を戦いに来たの。

――感想(2)は来週アップ予定です。