ちはやふる203首感想---それぞれの誠意

BE・LOVE 2018年16号掲載


東西戦予選二回戦終了、太一と名人が再び出会う。


太一



太一は会場を離れ、一人雪の舞い降る中を歩いていた。

手の中に残るのは硬くて冷たい札の箱の重みと、脳の中で何度もこだまする「勝者」という二つの文字。彼は喜びに震え静かに嗚咽する。雪に阻まれ帰宅できなかった名人に偶然にも出会うと、太一は腕を体の横に添え、名人を真っ直ぐに見据え、ゆっくり深々と頭を下げた。静謐の中やり取りされる彼らの動作に余計な会話は必要なかった。それは言葉や文字だけでは決して伝えることのできない、人として最も尊く美しい誠意ある姿であった。


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二人は結局ここにきても「師」と「弟子」とは呼び合うことはない。頂点に立ちながらカルタを辞める理由ばかりを探し続ける周防の姿は、とても人の目指すべき姿とは言えない。しかしこの半年間、彼らは教えるものと学ぶもの、伝えるものと受け取るものという、紛れもなく「教師」と「生徒」としての主従関係としての「結び」が存在していた。周防は師匠になることはできなかったけれども、太一の強さの一部分にはなることができた。彼の掌の中に、周防の残した何かは確かにある。

勝利の余韻に浸り、名人戦に前向きになることもできた。「千早がいるなら」という理由は、逆に言えば千早がいなければ前に進めないということでもあるが、今の彼の情熱の量ならここら辺が限界かもしれない。胸に美しく開き始めた牡丹の花は、頑張ればもっともっと咲きこぼれそうではある。しかしそれをどうするかは太一の意思が決めることである。


結川



「詩暢がプロになる方法を一緒に考える」

おもむろに言い出した結川のこの発言は非常に興味深い。結川は結局千早に勝つことはできなかったけれども、一回戦で7枚差、二回戦で4枚差とその差を確実に縮めている。7枚のうち千早に追いつくことができた3枚の分は、詩暢の届けた下着やアドバイスを受けたヘアピンの位置、そして詩暢自身の存在によるものであった。たかが高校生とか、カルタのモンスターとか悪態をつくものの、やはり結川にとって詩暢の存在は大きいし、本人もそれを自覚している。詩暢によって自分のレベルが引き上げられたことを、この東西戦にてしっかりと証明することができたのは、両者どちらにとっても得難い経験であったことだろう。

先輩の立場から詩暢を見るせいか、結川はどうしても詩暢と目を合わすことができずに、視線をヘアピンにずらしてしまう。京女のイケズで「同会のよしみ」や「考えたるわ」などとつい上から目線になってしまい、なかなか素直になれない部分もある。しかし彼女本来の性格は面倒見がよく優しい。詩暢のことを「ずっと考えていた」と思わずポロリと出てしまった本音には、その性格がよく表れている。「プロ化を一緒に考える」という結川のこの言葉は、カルタの神様たちに並べるかもしれないという夢を本気で見せてもらったことに対する、彼女なりの誠意であり謝意であった。

これで詩暢ちゃんのプロ化の話も一歩前進、というところであろうか。慣れない東京まで来た甲斐があった。よかったね、詩暢ちゃん(^o^)




予想に反し、新は負けの気持ちを引きずることはなかった。切り替えが早いのはうれしいけれどあまりにも描写が少なくて、置いてけぼり感が否めない。試合に負けたこと、しかもそれが絶対に負けたくないライバルであったこと、「ちは」「ふ」を取られたことや賭け事等の反省、後悔をすることもなく、ただただ「自分は卑怯でなかった」という一点にだけ満足しているような様子の新に違和感を覚え、脚の一本欠けた椅子に座っているような不安定な居心地の悪さを感じる。

太一が様々な経験を通して益々光り輝いてくるのに対し、新の強さ、存在感、千早への思いなどが今まで以上にぼんやりと霞んでしまった印象を受ける。もう何もかも吹っ切って諦めてしまったのか、気持ちを抑えているだけなのか、それとも元から全く気にしていなかったのか、新の気持ちがさっぱりわからずに感情移入ができなかった。一読者の些細な愚痴です、すみません…