ちはやふる208首感想---繋がる思い

BE・LOVE 2018年22号掲載


千早と新の名人クイーン戦への練習が始まる。二人には思わぬ練習相手が現れる。


新の練習相手



「あわらの高校生が名人戦へ出場」

この話題を福井のメディアは大きく取り上げた。「イケメン永世名人の血を受け継いだ高校生、且つ、二期連続東西戦出場と史上最年少・名人戦出場記録保持者」というインパクトは大きく、新聞には本人顔写真入りの記事、本人と南雲会のインタビュー、テレビ各社は夕方6時半からニュースとして取り上げるなど、新は地元ではちょっとしたプチ有名人となっていた。

福井はカルタ王国ですから少なくともこれくらいはあるでしょう。何より高校生ブランドは大きい。テレビで特番があったり、地元ケーブルのインタビューがあったり、地元雑誌に載ったり、年始の新聞で特集記事が組まれたりするかもしれません。漫画と同じで、東京の千早・太一周辺との温度差はあるかと思います。


新をなるだけ刺激しないようにと、松林かしまし兄弟は気を配るものの、さすがというか当の本人はそれほど動ずるわけでもない。しかし南雲会の祝勝会&大学合格祝いで見せた母麻里の涙だけは別だった。

地方に住む母親にとって、子どもが都会へ憧れてしまうのは避けられない現実である。外に出て何かを成し遂げたいと望むならば、親としてはできる限りそれを応援してあげたい。子を産んだ時からそれは重々承知している。しかし覚悟をどれだけ岩のように堅くしようとも、いざその時が来れば、それはあっという間に綿菓子へと姿を変えてほろほろ脆く崩れてしまう。子を深く愛すれば愛するほど、それは余計に。麻里の見せる悲しみの涙に、新は心を痛めずにはいられなかった。

練習にも懸念はあった。東西戦最後に見せた周防の怒りの刃はあまりにも鋭く、記憶の断面を切り裂いて、新の集中の糸をふつりと絶ってしまう。刃に塗られた恐怖と不安の毒は新の心に染みとなって残ってしまい、黒々とした斑点をどうしても拭い去ることができなかった。

周防対策のためにも新たな練習相手が欲しい、そう願う新の前に突如現れたのが、なんとユーチューバーとして衝撃のデビューを果たした詩暢ww。ヨ〇スケのごとくしゃもじをカメラに変えて(タイトルはもちろん「突撃!隣のカルターさん」?)、新の家に無理やり押しかける。

わざわざ福井まで出向いた理由をなんやかんやとは述べているものの、詩暢の弱点は新しか分からないわけだし、クイーン戦の前にどうにかしてそれを克服したいのが本音かなとは思う。まあどちらにせよ、降ってわいたようなこの出稽古試合がわたしは楽しみでならない。どんな展開になるのだろうか。わくわく。


千早の練習相手



千早は元クイーンの渡会に誘われて、同じく元クイーンの猪熊の家へカルタの練習に訪れた。詩暢の配置、送り札、得意札、試合中の動作や視点の位置に至るまで、渡会の対詩暢戦の分析はあまりにも的確で舌を巻くほどであった。クイーン戦に出るわけもないのに、なぜそれほどまでに詩暢にこだわる研究をするのか、そう思う千早は、渡会の中に潜む何かに気付く。

それは13年もの間、渡会の中に住み続けた「鬼」の姿であった。富士の荒野に耐え続けた鬼の姿が、彼女の中にも存在している。

人はね 向かい合ってる人からは本当は 身につくものは学べないのよ 本当に教えたいならうしろから

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上から目線では学ぶものの気持ちは分からない。学ぶものの立場に立ち、道を広げる準備を整え、妨げになる石ころを取り除き、道が広がらなければ学ぶものの後ろから見てその原因を考える。教えの道に滑らかに水を流していくためには、学ぶものからの視点が重要である、そう渡会は千早に指摘する。

流す水が多ければ多いほど、教えるものの知識や技術のエネルギーは蓄積していく。教うるは学ぶの半ばとはいうが、もしかると、学ぶの「全て」かもしれない。それ以上かもしれない。人を教えることで、教えている本人も強くなっていく。(これは教師や顧問になるためにも大切な心得ですね。千早の将来にとってよい経験だと思います。)

渡会は千早と練習することで、本気でクイーン奪還を狙おうとしている。猪熊もまた然り。かつての輝きを取り戻すために、教えることにさえ一切妥協はしない。教えたものは全部、自分たちの血となり肉となるのだから。二粒のダイヤに研磨されながら、千早の強さも今まで以上に研ぎ澄まされていく。限りないほどの透明さをもつ、純度の高い強さを目指して。全ては女王の王冠を手に入れるために。

「千早、どんな練習してる?」
「新はどんな練習してる?」

恵まれすぎるほどの強豪を相手にし、その熱意に刺激され、より強くなるために会いたいという二人の願いは、決戦を前に繋がっていく。思いは近づき、離れ、また近づき、ほどけて再び絡み合う。それは空に浮かぶ雲のように、舟から眺める遠くの小島のように、手が届きそうなくらいに近くて、けれども掴むことはできない。心だけは渡り鳥のように羽ばたいて、はるか彼方へと駆けてゆくのであった。

次回は一か月半後ですね。その間「美しすぎるカルター」こと綿谷始さんのご尊顔を拝みながら乗り切ることにしましょう。(この美しい顔で福井弁喋るなんて、とても想像できないです。)中学生編も終わってしまうので、そろそろサボっていた考察もいくつかアップしようかなと思っています。復習も兼ねて、一巻からの感想も書いていきたいなあ。ちはやふるは人生の教科書ですね。たくさん勉強させてもらってます(^o^)