ちはやふるとカササギ(2)

カササギについての考察、続き。

かささぎの渡せる橋におく霜の 白きを見れば夜ぞ更けにける

作者は大伴家持で三十六歌仙の一人、新古今和歌集(6-620)と、小倉百人一首の第六首目に記載されている歌である。この歌は七夕伝説に由来するものであり、「かささぎ」はカラス科の鳥類であるカササギのことを指す。漢字では、昔に鳥と書いて鵲(かささぎ)と読む。


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このカササギは、古代の日本には生息していなかった。魏志倭人伝には「無牛馬虎豹羊鵲」つまり「ウシ・ウマ・トラ・ヒョウ・ヒツジ・カササギはいない」ということが記載されている。日本書紀には、飛鳥時代の推古天皇6年(598年)、聖徳太子の使者として新羅に渡った吉士盤金(きしのいわかね)が2羽のカササギを持ち帰り献上、難波の杜(大阪市にある鵲森宮や生國魂神社などが比定地)で飼ったという記述がある。しかしこの時にも繁殖には至らなかった。万葉集では132首もの七夕の歌があるが、カササギを詠った歌は一首も存在しない。七夕の架け橋を作る伝説の鳥として、カササギの存在は大陸から伝来し日本に知られることとなったが、知識はあっても実物を見たものはほとんどいなかった。

賀茂の奥に なにがしとかや七夕の渡る橋にはあらで にくき名ぞ聞こえし そのわたりになむ 郭公鳴くと人の言へば それは蜩なりと言ふ人もあり(枕草子)

清少納言は「枕草子」の中で、カササギのことを「賀茂の奥に、何とかサギ?だっけ、七夕で渡る橋ではなくて~」とよくわからない鳥の例えに使っている。また紫式部も「源氏物語」浮舟で「寒き州崎に立てる鵲の姿」と言ってはいるが、いまのアオサギと混同しているのではないかといわれている。世間では「カササギはサギと付くからサギの仲間だろう」と一般的に思われていたためである。島根県八坂信仰の神社にて奉納される伝統舞踊「鷺舞(さぎまい)」は中国の七夕伝説を端緒にしているが、この鷺とはカササギであるともされている。

カササギは、黒い翼をひろげると両方の羽先が白い模様になる。黒と白のモノトーンのイメージとして、家持は上記の歌に詠んだようではあるが、カササギが日本にもたらされて広く見られるようになったのは豊臣秀吉の朝鮮出兵の際とも言われているから、想像上の鳥としてのファンタスティックな意味合いもあったのかもしれない。

家持の歌は歴史的にいろいろな解釈が展開されている。

「かささぎの渡せる橋におく霜」の解釈について、天上の幻想風景とみる七夕橋説、宮中の冬の夜の顔とみる宮中御階説、霜満天説などが挙げられている。また「夜ぞ更けにける」に関しても、夜半のこと、寒い夜のこと、世の衰えの喩え、忠勤の心構えの喩え、人待ちの心情の婉曲表現など、解釈は広い。どちらにせよ、夜の闇に染まる宮中の中で白く光る霜柱を、夜空に神々しく光り輝く天の川やカササギの白黒の翼の色などに重ねているようで、貴族たちの優雅な宮中生活とロマンあふれる神話の世界が、この歌の中には広がっているのである。

では古来の日本の彦星はどのようにして天の川を渡っていたのか。万葉集の歌では、彦星が橋を渡って織女を迎えに行くのが5首、そして舟で逢いに行くのが35首存在する。カササギの代わりとして舟に使ったのは「月」であった。


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太陰暦での7日は、必ず月が半月となる。この上弦の月の形を舟に連想させて詠んだ歌がいくつか存在する。

月の船さし出づるより空の海 星の林ははれにけらしも(新後拾遺集)

またこの上弦の月は、弓とそれに張った弦のような形にも見える。その半月を弓を引いた人の姿、また月末には月隠りしてしまう姿として、古代では月を神に例えていた。月神を男性に見立て人格化した名称を月読(つくよみ)、月人(つきひと)、月読壮士(つくよみをとこ)などといい、万葉集ではそれを「月人壮子(つきひとをとこ)」と表現している。

月人壮子

七夕の夜に彦星を乗せて天の川を漕ぎ渡る渡し守。また七夕伝説の彦星に見立てた表現や、天の川を渡る彦星を見守る男ともいわれている。日本固有の七夕伝説として生み出された。


天の海に月の舟浮け桂楫 懸けて漕ぐ見ゆ月人壮士(万葉集10-2223)

七夕の夜の宴で詠まれた月の舟、この舟を漕ぐ月人壮士は、七夕の夜に彦星を乗せて天の川を渡す渡し守である。桂楫というのは、中国の「桂男(かつらお、かつらおとこ)」という伝説の人を踏まえている。彼は大変な美男子で、月に住み大きな桂の木を切っていたそうだ。

ここでようやくちはやふるの話に戻るのだけれども、ちはやふるで月といえば、まず思い浮かべるのは太一である。

27巻では千早と太一を「太陽」と「月」に例え、太一が表紙の35巻では折り返しの歌が「月見れば」。一番印象的なのが27巻141首にて太一と周防さんの歩道橋での名シーン、ここでは二人の背景に妖しく輝く三日月が何度も登場している。


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太一はちはやふるでは月の存在であり、同時にカササギの月人壮士の役割も果たしていた。太一には千早や新と違い、一枚目の札というものが存在しない。(強いて言えば「あさぼらけ う」がそれっぽいかな?)太一という北極星を意味する名前もあって、彼は和歌というよりは「宇宙」のイメージの方が強い。雲の波に揺られて、月の舟に背もたれながら物憂げに杯を傾ける姿など、彼にぴったりの美しいイメージだなあと、ついため息がこぼれてしまう。

さて中国から伝来した七夕の二星逢会には、日中間でその伝承に差異がある。その最も大きい点が、「彦星から逢いに行くか、それとも織姫から逢いに行くか」。中国では織女星が牽牛星に逢いに行くと伝えられていた。しかし日本の古代の習俗では、男性の訪れを女性はひたすら待ち続けるものとされていて、平安の世まで、夫が妻の家に通う婚姻の形式「妻問い婚」が常識とされていた。その考え方に合わせて日本の七夕は中国の伝承とは異なるものへと変わっていった。

七夕に関する万葉集の歌のほとんどが彦星が織姫の元へ行くものだけれども、たった2首だけ真逆の歌が存在する。

織女し舟乗りすらしまそ鏡 清き月夜に雲立ちわたる(万葉集17-3900)

織姫が舟で乗りだしたようだ、鏡のように清い月夜に雲が立ち渡っているという意味で、これもまた家持の歌である。

前回の考察でカササギが太一から千早へ移ったと述べたけれども、この歌のように月人壮士が織姫に月の舟を手渡したと考えるとなかなかに面白い。「走れ 帆かけたる舟」と207首であったけれども、帆をかけた月の舟に乗る織姫なんて想像するだけで素敵すぎる。尤も現実には「前に進まない、漕ぎ方が分からない」とギャーギャー騒ぐ千早と、それにブチ切れている太一という残念な絵になりそうな気がして、また違う意味でトホホとため息が出てしまうのである。
posted by とかさま at 00:00考察