ちはやふる2巻感想---千早と太一

表紙は高校生の千早。背景の花はヒヤシンス。ヒヤシンスの花言葉は競技カルタにふさわしく「スポーツ」「ゲーム」、また黄色のヒヤシンスの花言葉は「あなたとなら幸せ」となる。折り返しの歌は「たれをかも」


chihaya2.jpg


この感想は40巻までを読んでの感想となっております。3巻以降のネタバレを含んでいますので、くれぐれもご注意ください。


1巻の千早と新のライバル関係に対し、恋のトライアングルとして2巻で大きくクローズアップされ始めるのは太一。高校生の彼はこの「たれをかも」の歌に合わせて再登場する。今回は太一と「たれをかも」の関係性について考察しようと思う。


太一と孤独



一枚目の札として、千早と新はそれぞれ「ふくからに」と「あらしふく」が描かれているが、太一にはそれが明確に示されていない。(ちなみに40巻と同時発売の中学生編3巻の折り返し歌は、それぞれ「ふくからに」と「あらしふく」でお揃いになっている。)

強いて挙げるならば、チームちはやふるとして初めて戦い、「ナイス太一」と新に信頼された札「あさぼらけう」が第一候補。これは中学生編の5首でも太一の心境を語る上で大きく取り上げられた。

そしてもう一つ候補として挙がるのがこの「たれをかも」である。この歌は「昔の友達はもういない」という孤独な気持ちを表す。人当たりがよくコミュニケーション能力の高い太一にとって、この「たれをかも」は一見すると彼には相応しくないように思える。実際面倒見の良い彼は周囲に慕われ、部長としての存在感を大いに見せていた。彼の周りには常に人がいて、あまり漫画には登場していないがクラスにも友人は多かったのではないかと思う。

しかし彼は決して本心を表に出そうとはしない。「自分は他人よりも醜い存在だ」という劣等感が常に頭の中にあって、それを露にしてしまうことを極度に嫌う。自分の恥の部分がバレてしまうのはプライドが許さないからだ。だからどうしても無意識に友人との壁を作ってしまい、表面的な友人は数多くいても、心を割って話せる友人はごく少数であった。親友と呼べる人は中学生時代の平井くん、そして高校での机くんと肉まんくんくらいではないだろうか。26巻で呟いていた「今まで誰の気持ちも受け取ってこなかった」という言葉の中には、「他人には俺の気持なんか分かるわけがない」という後ろ向きな感情も含まれている。「たれをかも」が、太一の担当札「たちわかれ」の友札として宿命的に隣に並べられるように、太一は人には見せない孤独感をいつも心に抱えているのである。


chihaya2-2.jpg
37巻189首より、太一・須藤戦


チームちはやふるにおいてさえ、太一は孤独を感じていた。このあたりについては中学生編を担当した遠田先生によって15首に丁寧に描かれている。こちらの感想にも詳しく述べているが、中学生の頃の太一は千早や新との間に疎外感という大きな隔たりを持っていた。彼にとってのチームちはやふるは、体面を気にすることなく自分を曝け出して頑張ることができた大切な記憶であり、負けても楽しくいれた思い出の拠り所でもあったのだが、逆に新との圧倒的な強さの違いや千早との情熱の差が明るみになってしまう悩ましい場所でもあった。太一は「二人のもとへはどうせ行けない」と端から諦めることにより、この相反する気持ちをずっと抑え込んでいたのである。


勝つためのカルタ



そんな太一を、千早は再びカルタの道に呼び戻すことになる。しかも再びチームとして。

一緒に強くなろう 仲間がいれば強くなれるから

千早には太一の本心など知りようはない。ただ単純に、太一がいてくれると嬉しい、つまり「あなたとなら幸せ」というヒヤシンスの花言葉のような気持ちから誘っただけである。しかしこの一言は太一の心を大きく震わせた。自分だって本当は「強さ」が欲しい、「勝つためのカルタ」がしたいのだと、改めて気付かされたからである。

太一がカルタ部を作った理由について「千早のことが好きで一緒にいたいから」という意見を聞いたことがある。しかしわたしが思うにそれだけではないように思う。なぜならこのころの太一は、千早のことが気にはなるものの好きという自覚はまだなかったからだ。(しかも太一には他に彼女がいた。)

カルタ部を作る決め手になったのは千早の夢だった。「世界一になりたい」という千早の夢を叶えてあげたいと太一が願ったためである。それは太一の優しさであるとともに、自分の「強さ」の更なる可能性を教えてくれた、千早への感謝の気持ちでもあった。千早からもらったものを返したわけである。(これは206首の「千早は世界一な」にも同じことが言える。)「一緒に強くなろう」というカルタ部創設の経緯は、千早らしくかなり強引な誘い方ではあったが、これによって太一の心が救われることとなり、巡り巡って千早のためにもなったのである。


弱さのつながり



太一と千早は、頼り頼られ、支え合い、依存しあう関係がある。千早と新が強さによって繋がる関係であるならば、千早と太一はその逆、お互いの弱さを助け合う相互補完の関係となる。登山で例えていうなら、新は千早の前で歩く先導者であり、太一は千早の後ろを支える支援者である。そして一般的に前向きに繋がる先導者よりも、後ろから支えてくれる支援者の方がより関係は濃くなる。自分の弱点をサポートしてくれる協力者がいるなんて、これほど嬉しいものはないからだ。

しかし弱さのつながりだけでは本当に強くなることはできない。逆に必要以上に依存度が強まり共依存になる可能性だってある。(共依存についてはこちらの考察に述べてあります。)本物の強さを二人が求めるならば、どちらかが支援者になるのではなく、お互いが自立して支え合う並走者にならなくてはいけない。

太一がそれをなしえたのが39巻、及び40巻だった。情熱を手にして自らの力で新のもとへとたどり着いた太一には、堅固な自己確立が備わっていた。千早を支えながら彼女と並走できる強さを得ることができた。

「今でも千早ちゃんのことを好きですか?」そう奏に聞かれたとき、もし太一が「好きだよ」と答えていたらどうなっていただろうか。もしかすると、千早もそれに応じた可能性は高いのではないだろうか。なぜなら太一はもう、カルタをする千早を否定することはないだろうから。新の強さに、そして自分の弱さに納得していたから。太一が恋愛の舞台から降りる決意をしたのは、自分の中にある「たれをかも」の札を否定せずに受け入れることができた、彼の強さの証明でもあったのである。



年末は記事を書く時間がないので、今年の更新はここまでです。ネット辺境の果てまでわざわざご訪問いただきました皆様、ありがとうございました。変態マニアック級の記事をここまで読んでいただけているなんて、皆様もきっとわたしと同じ生粋のちはやファンだと信じております。嬉しいです。来年もぼちぼちと頑張りますので、どうぞよろしくお願いしますm(_ _)m